バツバツくんのブログ

5回の離婚を経験し6回目の結婚生活に奮闘中(^^)

離婚…という言葉(^^)

この言葉を初めて聞いたり話したりしたのが、小学5年生でした。

そうです、大人になれば理解できる、わかりやすい話でございます。あれから両親は、離婚しました。

借金を抱えた父は、酒に走り、母は、飲み屋に勤めるようになり…裕福な、おぼっちゃま生活から一転、暗い小さなアパートでぐちゃぐちゃな生活に… 

酒に酔った父は、幼い弟を叩いた事もありました(><)

もちろん、こんな状況、母親も耐える事は、できなかったのでしょう、新しい男性の影もチラチラと…

そこからは、もうどん底…父は、知人の家に、間借り居候…母は4、5歳の弟を連れて、飲み屋に住み込み、私は、なんと叔父叔母いとこの家に預けられました。

小学5年生の私は、パニックでした。ホントたくさん泣きました。

無理矢理転校させられた私は、いじめにもあいました。叔父からも、暴力をうける事もありました。

それから私は、両親を恨むようになりました。あとは、お決まりのコースです。

小学6年生からは、万引き、タバコ、喧嘩、何度も補導されておりました。

中学一年に上がる頃、母親が迎えに来ましたが、もうその頃には、時すでに遅しの状態で、おぼっちゃまだった面影はなく、完璧な不良少年でした。 

母親に、新しい父親を紹介されましたが、もうおわかりでしょう(^^)

気がついたら殴りかかっていました笑笑

まだ中学一年生で、身体が小さかった私は、すぐに跳ね除けられましたが、毎日のように新しい父親に向かっていきました。

忘れていましたが、そこには、また可愛い妹の存在…

そうなんです。母は、再婚後に、子供をもうけ、種違いの妹ができたのです。何も知らない妹は、本当に本当に、無垢で可愛いくて、可愛いくて、しょうがありませんでした。

しかしながら私は、母にも、弟にも、暴力をふるい、新しい父親とも、喧嘩…

 

なんという、ドラマのような、悲惨な感じ…

積み木崩しというドラマがありましたよね笑笑

 

さあ…第3の波乱は、あるのでしょうか(^^)

 

こういう自分史で、申し訳ございません。ですが世の中には、もっとたくさんの辛い思いをされてきた方がたくさんいらっしゃると思いますので、少しでも分かち合えたらなと思います。

 

ではまた…

バツ5…聞いただけで引かれる数(^^)

そうなんです。私、文字通り五回離婚しております…そしてまた、懲りもせずに六回目の結婚をしたところでございます。
なんだコイツはと思われるかもしれませんが…ホント人生いろいろありすぎて、書けずにはいられなくなりました。
恐縮ですが、まず簡単な自分史を書かさせて頂きます。

とある漁師町に生まれました。祖父が小さな会社の社長をしていて、そこで働く父、そこに嫁いで来た母、この両親の元で、長男として、大事に大事に育てられました。


覚えていることは、住んでいた地域の中では、裕福な家庭の方だったと思います。家もまわりのお家より少し大きく、祖父と歩いていると、気を使われてる事が子供ながらに感じておりました。
通っていた幼稚園のグラウンドにある遊具なども祖父が寄付していたそうです。
そんな中、突然祖父が倒れ、脳梗塞で帰らぬ人となりました。

幼稚園生だった私は、よく理解していませんでしたが…週に二、三度、祖父と一緒に喫茶店に甘いものを食べに行っていたのが行けなくなり、泣いていた事を思い出します。
それからまもなくして、祖父の生まれ変わりなのでしょうか、弟の誕生でした。5、6歳の私は、弟の事が可愛くて可愛くて、よく抱きしめていました。


ここまでは、まぁ、平凡というか、普通より良い生活だったかなという感じです。
ハッキリと覚えていることは、近所の子の誕生日まで、ウチの家でやっていた記憶があります。
とにかく、よそより、テレビが大きくて、リビングが広い…とても鼻が高かったです。
そんな生活が、小学4年生まで続きました。
 私は、子供ながらに、このおぼっちゃま生活がずっと続いていくんだろうと思っていて、毎日幸せ〜と明るく、学級委員長までやっておりました(^^)

ところが、幼い私には、真実、事実、その時起こっている事など知るよしもありませんでした。
祖父が設立した会社のあとを継いだ父は、経営難に陥っており、なんと、家も売り払い、会社は、親戚に預ける様な形になり、何がなんだか、わからないうちに、大きな一軒家から、狭い狭いアパートに、家族4人引越していたのです。


私の人生いろいろ…波乱の第一は、ここらへんでしょうかね(^^)


では、また第二、第三の波乱も、書いて行きたいと思いますので、今後とも宜しくお願いします。


ここまで読んでいただいた方には、深く感謝申し上げます。ありがとうございます。